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連載企画(2)知財経営とCIPO 第2回(その一)
創業以来の経営哲学に立脚するキヤノンの知的財産経営
キヤノン専務取締役・知的財産法務本部長 田中信義氏インタビュー(1)
[2006/07/07]


キヤノン専務取締役・知的財産法務本部長の田中信義氏
キヤノン専務取締役・知的財産法務本部長 田中信義氏
 先進工業国において「知識経済」への移行が急速に進む現在,企業は「知的財産経営」の実践が不可欠になっている。しかし,現実には多くの企業が「知的財産権だけ/のみのマネジメント」にとどまっており,これらの企業では既存の価値観,商慣行,組織構造などが阻害要因になっている。こうした状況を打破するためには,経営トップが自ら技術・研究開発部門や知財部門に踏み込んで統合的に主導していく体制が必要になっており,「知的財産推進計画2006」には,「CIPO(知財最高責任者)や知財担当役員,あるいは知財経営を担当する企画的な部署を社内に設置することが望ましい」と明示された。日本におけるCIPOの代表的存在であるキヤノン専務取締役・知的財産法務本部長の田中信義氏に,「革新,そして健全なる拡大を(“Innovation & Sound Growth ”)」をスローガンに掲げ新たな発展段階に入った同社の技術開発,事業,知財,経営の考え方から,知的財産経営やCIPOのあるべき姿を探る。
(聞き手は河井貴之=日経BP知財Awareness編集)

企業において,「知的財産経営」の実現が急務になっている。企業における知的財産の果たす役割とはどのようなものか。


 企業とは,新しいコンセプト(概念)や技術を生み出し,それに立脚して事業展開する組織である。その過程で生まれる独創的な知恵が知的財産(無形資産)である。「いかに新しい技術を創り出すか」,「いかに安価に物流を行うか」,「いかにブランド・イメージを高めるか」,これらすべてが知的財産であり,公的に認められたものが知的財産権である。すなわち,「知的財産力」とは,その企業の価値創造力であり,企業経営における力の源泉と言える。
 知的財産戦略と知的財産経営の成否は,上記のように知的財産を認識する視点もしくはその姿勢によって決まると述べても過言ではない。
 従来,知的財産については,知的財産権に関する実務とその効率化が想起される場合が多く,特許権や商標権などの取得・行使・管理が主なテーマだった。また,財務会計的な概念としては,企業が所有する設備などの有形資産に対し,可視化できない「無形資産」として意味付けられてきた諸要素が知的財産と称されてきた。
 現在の「知的財産立国」で言われる知的財産を考える際には,このような従来型の狭い意味ではなく,広い意味を持たせなくてはならない。それは,イノベーション(技術革新)の創造,製造工程の効率化といった技術的領域の課題に限らず,販売管理や就業環境の管理などを含む全体の生産性の向上とその好循環を目的とした概念である。このように知的財産を広義に認識することによって,それらを有効に活用する経営や事業戦略の実現が,企業活動における自明かつ当然の目標になることが分かる。自分たちの事業や技術開発の進捗(しんちょく)状況と将来の方向性など様々な経営局面を理解し,それに基づく多様な視点から「知的財産」を認識しマネジメントすることが本質的に求められている。

キヤノンが知的財産経営で大きな成功を収めてきた背景は何か。


 キヤノンは自分たちが独自に生み出した技術を発展させて製品化・事業化することを基本的な企業姿勢としている。1937年に銀塩フィルム用のカメラ事業を開始して以来,複写機,レーザー・ビーム・プリンタ,インクジェット・プリンタ,デジタル・カメラといった新しい事業を開拓し,多角化に成功してきた。これは創業から一貫した“独自技術を大切にする”という経営哲学に基づく事業展開であり,当初から知的財産という概念や枠組みを用いて考えてきたものではない。キヤノンが伝統的に創造し,蓄積してきた技術・経験などを「知的財産」という言葉に置き換え,それを通じて経営姿勢を俯瞰(ふかん)することは理解しやすく,評価しやすいと思う。だが,われわれにとってこうした経営哲学とその実践は,ごく自然に引き継いできた「文化」である。
 「知的財産をいかにマネジメントするか」という課題への回答,つまり知的財産経営の型は,各企業において異なるはずだ。例えば,他社から技術を導入して開始する製品化や事業化にはわれわれのビジネス・モデルは適用できない。
 あえて言えば,われわれは知的財産権や事業の成功例だけでなく,失敗例や試行錯誤の過程なども大切な知的財産として蓄積し,活用し続けてきた。1度は失敗と判断した技術,人材を他分野で応用して成功につなげた事業例もある。こうしたあらゆる経験が次の研究開発に生かされ,キヤノンの技術力の向上につながってきたと言える。
 技術開発力の強化に加え,「セル生産方式」の達成や組み立ての自動化・無人化,SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)の構築といった領域でも,キヤノンはイノベーションを続けてきた。自社のイノベーションを源泉にし,さらに様々な事業局面で得た経験と知識を付加し,高収益化を達成してきたことが,キヤノンの知的財産経営であり,同時に伝統でもある。

知的財産経営を担う人材とその責任者であるCIPOに必要な能力はどのようなものか。


 第1には,技術と事業のそれぞれのライフ・サイクルを大局的に理解できることが必要だ。事業ひいては企業の根幹を支えるようなコア技術が生まれる確率は,「数年間で1つ生まれるかどうか」といった程度である。逆に言えば,継続的な成長を続けるためにはこうしたキー・テクノロジを数年間に1つ以上は確実に生み出し,それを事業化して大きく花開かせなければならない。
 技術の成熟期と事業の成熟期にはタイム・ラグ(時間差)がある。知的財産活動はこうした技術と事業の時間軸や発展段階に基づき,局面の変化に対応しなくてはならない。例えば特許活動においても,技術の創出〜成熟期には原理特許の確保が重要であり,事業の創造〜成熟期では応用特許の確保が重要だ。技術と事業が両方とも成熟した以後の時期は,製品適用特許の取得などが中心となる。
 第2に,組織の役割と機能を十分に理解し,適切にハンドリングしていく能力を要する。中央研究所のような研究開発部門は,5年後あるいは10年後といった長期的なスパンを視野に入れて技術の本質を見極め,将来においても評価に耐えうる基盤技術やコア技術の創造と確立に努めなくてはいけない。これに対し事業部門は,スピードを重視した開発〜設計〜生産活動が不可欠であり,短期に技術課題が解決できるような明確な技術シーズを基盤にした製品化や事業化が主要な目標になる。

図表1:研究・事業の進展と知的財産のイメージ
研究・事業の進展と知的財産のイメージ
資料:キヤノン知的財産法務本部の提供資料より抜粋。

 1つの技術や事業にも多様な発展形態が想定できる。進化の「道」は1つではなく,組織の目的や取り組みによって複数の形が考えられる。そのような潜在的な可能性を最大限に引き出すために,部門の機能やミッションの違いを把握し,同時に結合すべき要素に目を向け,これらの部門を率先して最適化を図ることが経営の使命である。知財要員は,知財権などに関する「実務上の専門的手続きのハンドリング」と領域横断型のハンドリング,この両者の違いを常に意識しておくべきである。

図表2:キヤノンにおける発明と事業化の系譜
キヤノンにおける発明と事業化の系譜
資料:キヤノン知的財産法務本部の提供資料より抜粋。

【田中信義氏インタビュー】|  ||  | |  ||  |


田中信義氏 プロフィール
キヤノン専務取締役,知的財産法務本部長。工学博士。
 1968年に東京工業大学理工学部電子工学科卒業,1970年に同大学院理工学研究科修士課程修了後,同年にキヤノン入社,同社コンポーネント開発センター所長,工学博士号取得(東北大学工学部),半導体開発センター所長,取締役 光学機器事業本部長を経て,1999年4月より知的財産法務本部長,2001年3月より常務取締役,2006年3月より現職。
 経済産業省 産業構造審議会の経営・情報開示小委員会の委員,同省 日本工業標準調査会 標準部会の委員,日本知的財産協会副会長など多数の公職・要職を歴任。「バイポーラ型固体撮像素子の実用化」で1991年に大河内記念技術賞を受賞,「増幅型新固体撮像素子の発明」で1995年に全国発明表彰・発明賞を受賞するなど,研究開発者としての業績でも表彰されている。


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